2017年07月31日

アイスブレイクは緊張をほぐすだけが目的ではない

アイスブレイクというのは、ワークショップや会議で用いられる技術です。緊張をほぐして場の雰囲気を作る手法です。
ウィキペディアにも載っています。

ウィキペディアを参考にすると、アイスブレイクの目的は3つ。

①参加者全員が和やかな雰囲気に包まれるようにすること

②参加者どうしのコミュニケーションが円滑に、豊かに、広くなるようにすること

③参加者がその場に自分がいてもよいという安心感をもつこと

というもの。
プロファシリテーターの青木将幸さんの著書を参考にすると、目的はさらに増えます。
例えば、名前を覚える、チームに分ける、など。
気になる方は著書をチェックしてみて下さい。


実際には、ちょとしたゲームをしたり、手や口など身体を動かしたりします。

慣れてよく陥る失敗として、、何をするかがばかり気にしてしまい何のためにするかを忘れてしまうというのがあります。
アイスブレイクは、やってみるとたしかに楽しかったり、交流がうまれたりするので、夢中になりやすいです。
しかし、そのため必ずしなきゃ、とか、どんなことしようかばかりに力を注ぎ込んでしまい、肝心の本編に活かせなかったり、やりすぎてしまったりします。

アイスブレイクで大切なのは「適切な人間関係をきずく」ということです。
適切とは、リラックスしたり、交流する雰囲気だったりもありますが、本編の内容に応じて、逆に緊張感を演出するということも考えられます。
例えば、防災訓練や救急対応、またそれに近いワークショップを行うときは、真剣な気持ちを作り上げなければなりません。

そう考えると、アイスブレイクについての考え方が広がります。緊張をほぐすだけがアイスブレイクではありません。
色んなことの試行錯誤が大切です。

そう思えた今日このごろ。
  


Posted by 峰政 裕一郎 at 19:00Comments(0)ファシリテーション

2017年07月30日

高校野球の予選決勝を生てみると想像以上の迫力で面白かった。

今日が私の初体験。
なんの。高校野球予選会の決勝戦の生観戦の。



和歌山に来て、高校野球の予選会を、全部テレビ放送していることにびっくりしたのを覚えている。
更にびっくりした。決勝戦になると、こうまで迫力があるのかと。すごいね。

座席は紀央館よりの内野席。正面対岸には智弁和歌山の応援団。
と、思いきや、さすが智弁。紀央館側スタンドにもチラホラと応援する人がいる。

智弁の応援は慣れたもので、人数が多いくせにキレイに揃っている!対岸には座っているにも関わらず腹の底に響く応援。
紀央館側も初決勝で盛り上がる応援。

今気がついきた。
私は試合というより応援を見ていたのだと。

試合はテレビで見るほうが快適だ。解説も付いているし選手一人ひとりの表情もわかる。何より暑くない。
球場は暑いのなんの。
でもテレビと大きく違うのは応援の迫力だ。
それだけ味わえただけで大満足。
もはや耳で聞いていなかった。腹で聞いていた。  


Posted by 峰政 裕一郎 at 19:00Comments(0)感想

2017年07月29日

アリとキリギリスのキリギリスは不幸だったのだろうか。キリギリスを受け入れたアリの物語もいいと思う。

アリとキリギリスという話がある。
だいたいこんなストーリー。
1. キリギリスは夏の間働かずして歌ってばかり。
2. アリはせっせと働いている。
3. 冬になり、キリギリスは食べるものを無くすがアリは貯蓄がある。
4. キリギリスはアリに乞うが、断られて死んじゃう。

といった感じでしょうか。
一般的な教訓が「ちゃんと働かないといけないよ」「ひごろからコツコツ備えておこう」みたいなものだったと思う。
個人的には、夏の間に好きなことを好きなだけやって、最後に果てたキリギリスは幸せだったのではないかと思う。
人は働く為に生きているのではなく、生きるために働いている。夏の間、歌うことだけで生きていけたキリギリスは自分の天命を全うしたのではないか。
逆に、ひたすら働いていたアリは幸せだったのだろうか。
たぶん冬の間、穴の中は殺伐とした生活だったとおもう。

と、なんでこんな話を持ち出したかというと、最近「フレデリック」という絵本を買ったからだ。
作者はスイミーでおなじみのレオ・レオニ。訳は谷川俊太郎。春の人ですね。
こちらはネズミの話し。絵がかわいい。

物語はこんな感じ。
1.ネズミたちがあるところに住んでいる。
2.みんな冬ごもりに向けてせっせと働いているが、フレデリックというネズミだけのんびりしている。
3.フレデリックは色や言葉を集めていると言うだけで動かないで、ぼーっとしたり寝ているようにすごす。
4.冬が来てみんなこもる。最初は楽しい雑談をしていたがだんだんと食料がなくなってひもじくなる。
5.フレデリックが色やおひさまや言葉の話をして、なんか楽しくなる

と言った感じでしょうか。

これをみて、私はアリとキリギリスの物語で、アリがキリギリスを迎え入れて一緒に冬を越えた物語じゃないかなと思ったのだ。
物や食料がなくなったときでも、食べれないもの(色やおひさまや言葉)が生活を彩ってくれる。そしたらもっと幸せになれるだろうなと思った。
案外、幸せってどんなしんどいときでもアートやしょうもないものを捨てずにいることができるゆとりから構成されているのかもしれない。  


Posted by 峰政 裕一郎 at 19:00Comments(0)おもったこと

2017年07月28日

ウナギは本当にこのまま食べてていいのか。

先日も土用の丑の日があり、ウナギがどんどん売れている様子がテレビで放送されていた。

でも、ウナギってそんなに食べていていいのだろうか。
ニホンウナギ、絶滅危険度最高に指定へ
とあるように、ウナギはけっこう数が減ってきている。
だったら増やせばいいのではないかと思うが、実はウナギの生態はあまりわかっていない。
近年やっと産卵場所が判明した。
そして、養殖は今のところ難しいとされている。

そんな絶滅一直線のウナギをみんな楽しく食べている。
いいのか。その先はもう絶滅ですよ。
ウミガメやトキは護るのにウナギは絶滅していいのか。それでいいならもう仕方ない。
ウナギが牛丼屋で何百円で売られているのを見ると寂しく思う。
ああぁもう少ししたら、食べれなくなる。

そんなにテレビを見ていないけど、土用の丑の日の報道でウナギの絶滅の危険性を訴えたものはなかった。
このままでいいのか、と思う。
小学生の夏の課題研究でとりあげても面白いだろう。
大人たちはびっくりすると思う。

最後に言いたい。
でもやっぱりウナギは美味しいですね。

  


Posted by 峰政 裕一郎 at 19:14Comments(0)おもったこと

2017年07月27日

「子どもが育つ魔法の言葉」は自分の言葉にして、相手に当てはめると危険だな、と思った

 最近読んだ本はドロシー・ロー・ノルト/レイチェル・ハリスの「子どもが育つ魔法の言葉」(石井千春訳、PHP文庫)。
 Amazonですすめられて、文庫本だし、ちょっとおもしろそう、えいポチを、してしまった本。
 内容は本のタイトルに書いてある通りで、親の言動を子どもはちゃんと学習して身につけますよっていうものです。学習するといっても、単純に子どもが成長していく為に、いいことが書いてあるとうものではなく、親のどんな言動も子どもは「良い意味でも、悪い意味」でも取り入れて変容していきます、ということが書いてありました。
 あえて良い意味とか悪い意味とかという言葉を使いましたが、こんな感じ。
 「とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる」
 「子どもは馬鹿にすると、引っ込みじあんな子になる」といったものです。
 もちろんこれは悪い方の学習です。
 子どもを馬鹿にするって・・・そんなん普通に考えれば分かる、と思いますが、例えば、「そんなこともわからないの?」と行ってみたり「なにボケっとしているの!」「うるさいから静かにしてっていっているでしょ」とか、近所のスーパーで親が子どもに言っているところを見たことはありませんか?そんな親の行動が子どもを馬鹿にするということらしい。あと、兄弟や学校のいじめのこと。

 良い意味では「褒めて上げれば、子どもは、明るい子に育つ」とか「見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる」とかありました。

 こういったように、親が子どもにどう接したらどうなる、という様にかかれて、具体的な事例と子どもが成長するかかわり方を提案している。

 これは当たり前に人としてやることだろ、と思う部分もあれば、それは大切!やってよかった!なるほど!と励まされたり参考になる部分が沢山ありました。いいなぁ〜。やってみようと思います。

 反面、私はこの本はちょっとあぶないんじゃないのか、と思いました。
 少し前に言っていることと矛盾しますが、ちょっと怖さのようなものも感じたのです。
なぜかといいますと、親の育てかたについてこうすればコウなると分かりやすい文章で書いてあるわけです。
 それを自分が参考にして子育てに役立てようとするには大変便利な書です。
 しかしこの本を読んだ人がその内容を他人に当てはめようとした時、牙になるんじゃないかなと思ったからです。

 どういったことかといいますと、内容をもっと単純にいうと「子どもにとっていいことすればよい子に育ち、悪いことをすれば悪い子になる」となります。

つまり、あまり本書の内容を他人に当てはめすぎると、もし子どもが不良や社会に適応できなかった場合、それが親の責任という枠組みに押し込まれてしまうんじゃないかなってことです。子どもが成長していく中で親は大きな影響を与えますが、それだけではありません。

 ほかの家族、友だち、近所の人、自然、マスメディア、色んな要因がありますし、それらは複雑に絡み合っています。
 それにもしかしたら、親が適応させようとしている社会のほうが間違っているかもしれません。

 そいうわけで、この本は、子どもの問題を親の責任”だけ”にしちゃう化にならないか、という副次的な学びが出来た一冊でした。
お安いので気になる方はチェックしてみて下さい。  


Posted by 峰政 裕一郎 at 19:00Comments(0)

2017年07月11日

第2次安倍政権で最低の支持率は与党の支持率低下なのか

日テレのNEWSでこんなのを見た。
支持率31.9% 第2次安倍政権で最低

私は自民党の支持者ではありません。
かと言って野党の支持でもありません。

たぶん、です。個人的な肌感覚の見解ですが、これは与党に対する評価が下がっているのではなく、政治に対する、評価が下がっているのだと思います。
だから野党の評価もあまり伸びていません。

でも、支持率が下がったことは良いのではと思います。

仮にですけど、たとえ民進党に票が集まったとしても(現状かなり難しいでしょうが)、自民党が政治の中心であることは変わらないでしょう。
でも、支持率が下がったことで、議員さんの政治に対する危機感や姿勢の具合が変わるでしょう。

よく「本筋じゃないところで時間が」「もりかけ問題なんかやっている暇がない」「ミサイルが飛んできている待ったなしだ」で色々言っている方がいらっしゃるが、この間の「もりかけ」含めた色々な出来事がが政治に対する現在の政治家の姿勢の現れだと思います。
むしろ政治の体質が変わらないまま、重要な課題に取り組むほうが危ういと思います。
でも、まったなし。ならば両方をしっかりとやっていくしかないと思います。どっちの問題も、疎かにできないことだと思います。

ぜひ下がった支持率の中で与野党がちゃんと政治をしてくれることを期待します!
  


Posted by 峰政 裕一郎 at 20:00Comments(0)おもったこと