2014年01月17日

117当時を思い出す

117の今日
震災時、中学生だった私。
私は岡山の実家で新聞を配っていた。
家に帰って地震があったことを知り、
テレビをみて被害状況を知り、
20歳になって初めて神戸に自分でいって、実感に変わった。
こんな大きな都市が、あのテレビで見た状況にそまったのかと。

世間知らずの私にとっては、それまで神戸は遠い都市だった。
どっかの街ぐらいの気持ち。
そこで、意識を持って、気持ちを掻き立てられるような感性を持ち合わせているわけもなく、のほほんと暮らしていた。

社会人になり、震災博物館に行き、当時の体験者とも触れ合う機会があり、数年越しにやっと実感を伴った感覚が湧いてきた。
テレビで見るのとは全然異なる実感。

ああ、生きてるってすごい。


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Posted by 峰政 裕一郎 at 17:39│Comments(0)おもったこと
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