2017年10月15日
板書をしないと不毛な会議になる理由。
毎週土曜日朝の勉強会。
今週もありました。
ファシリテーションについて。
ファシリテーションは、なんか企画とかイベントする時に、集まった人の力を活かす技術です。
例えば、PTAの会議だったり、会社の研修だったり、いろんな所で活かせます。
今回は、会議の板書について勉強しました。
それはおいといて、
なんで会議で板書が必要なのかを簡単に書いていきます。
社会人になれば、いや、社会人にならずとも「ダラダラ」「グデグデ」「くどくど」とした不毛な会議は何回も経験している人も、少なくないと思います。
そういった、やんなっちゃう会議に終止符を打ちたい。
少しでも有意義にしたい。
納得して終わりたい。
という時に超役立つのが、「板書」です。
今の会議に板書(ホワイトボードや模造紙ナド)を使っていないならば、ぜひ「ちょっと書きましょうか?」とか言って書いたほうがいいです。
会議で板書をしたほうが良い理由を6つかあげます。
1)「人の記憶は長続きしない」です。
ファシリテーターのベテランたちが集まって、実験的に板書なしで会議をした時、1時間どころか10分も持たずに論理的な会議が出来なくなったそうです。論点や経過が積み重なると、超天才でないかぎり、記憶がごちゃごちゃになってしまいます。ある程度覚えていたとしても、詳細で抜け落ちたりします。会議参加者全員が記憶力がいいとも限りません。
2)「人の認識は必ずズレる」です。
板書ではなく個人メモをそれぞれとっている会議を目にします。その書いたメモは、他の人が書いたメモと一緒でしょうか?たぶん全然違うでしょう。そして同じ言葉を聞いても人それぞれ受け取り方は違います。例えば「会社のコミュニケーションが足りない」といった場合、報連相を思う人もいれば飲み会を想像する人もいるでしょう。そのズレがどんどん大きなズレになって、泥沼になってきます。
3)「あの人の意見だから反対(賛成)現象」
何を言ったかではなく、誰が言ったかで、判断されてしまう現象です。嫌いなやつが言ったから反対。逆に懇意にしている人の意見だから賛成。こういった現象が、適切な議論と判断を遠ざけてしまいます。
4)「抜け漏れがでてきちゃう」
十分議論が出来たと思える会議でも、板書がなければ、経過や意見を整理しておくことができません。また、書き出して整理することで視えてくアイディアや抜け落ちもあります。そのため、板書なしではどうしても意見や論点のヌケやモレが発生しやすくなります。また、会議後に「あれは誰がやるんだっけ?」という事態にも陥りやすくなります。
5)「安心感が減る」
会議でせっかく意見しても、スルーされてしまったら、もう発言する気がなくなってしまいます。些細な意見でも、板書されれば「うけとめてくれている!」と思えるのに。
6)「集中できない、内職できる。」
板書がなければ前を向く必要も少なく、自分のメモだけをみることが増えます。そうなればついつい集中が切れてしまいます。または、周りが見ていないことをいいことにメールチェックなどの内職をしやすくなります。そうなれば、議論の効率がぐっと落ちてきます。
という感じです。
逆を言えば、板書が、いやカッコよくグラフィックと呼びます、グラフィックが十分に機能すれば、論点が整理され、思考のズレを防ぎ、人の批判をアイディアの吟味に替え、抜け漏れを防ぎ、安心感が得られ、集中を促すことが出来ます。
かといって、難しいのかと言えば、難しくないです。ただし、奥は深いです。
グラフィック道です。
でも、技術です。学べば上達します。
線1本がかければ、整理ができます。
4つの構図を覚えれば、なんとなく展開が視えてきます。
未だに自分の板書は恥ずかしいのですが、まずは、勇気を持って書き始めることと思い、書く日々です。

今週もありました。
ファシリテーションについて。
ファシリテーションは、なんか企画とかイベントする時に、集まった人の力を活かす技術です。
例えば、PTAの会議だったり、会社の研修だったり、いろんな所で活かせます。
今回は、会議の板書について勉強しました。
それはおいといて、
なんで会議で板書が必要なのかを簡単に書いていきます。
社会人になれば、いや、社会人にならずとも「ダラダラ」「グデグデ」「くどくど」とした不毛な会議は何回も経験している人も、少なくないと思います。
そういった、やんなっちゃう会議に終止符を打ちたい。
少しでも有意義にしたい。
納得して終わりたい。
という時に超役立つのが、「板書」です。
今の会議に板書(ホワイトボードや模造紙ナド)を使っていないならば、ぜひ「ちょっと書きましょうか?」とか言って書いたほうがいいです。
会議で板書をしたほうが良い理由を6つかあげます。
1)「人の記憶は長続きしない」です。
ファシリテーターのベテランたちが集まって、実験的に板書なしで会議をした時、1時間どころか10分も持たずに論理的な会議が出来なくなったそうです。論点や経過が積み重なると、超天才でないかぎり、記憶がごちゃごちゃになってしまいます。ある程度覚えていたとしても、詳細で抜け落ちたりします。会議参加者全員が記憶力がいいとも限りません。
2)「人の認識は必ずズレる」です。
板書ではなく個人メモをそれぞれとっている会議を目にします。その書いたメモは、他の人が書いたメモと一緒でしょうか?たぶん全然違うでしょう。そして同じ言葉を聞いても人それぞれ受け取り方は違います。例えば「会社のコミュニケーションが足りない」といった場合、報連相を思う人もいれば飲み会を想像する人もいるでしょう。そのズレがどんどん大きなズレになって、泥沼になってきます。
3)「あの人の意見だから反対(賛成)現象」
何を言ったかではなく、誰が言ったかで、判断されてしまう現象です。嫌いなやつが言ったから反対。逆に懇意にしている人の意見だから賛成。こういった現象が、適切な議論と判断を遠ざけてしまいます。
4)「抜け漏れがでてきちゃう」
十分議論が出来たと思える会議でも、板書がなければ、経過や意見を整理しておくことができません。また、書き出して整理することで視えてくアイディアや抜け落ちもあります。そのため、板書なしではどうしても意見や論点のヌケやモレが発生しやすくなります。また、会議後に「あれは誰がやるんだっけ?」という事態にも陥りやすくなります。
5)「安心感が減る」
会議でせっかく意見しても、スルーされてしまったら、もう発言する気がなくなってしまいます。些細な意見でも、板書されれば「うけとめてくれている!」と思えるのに。
6)「集中できない、内職できる。」
板書がなければ前を向く必要も少なく、自分のメモだけをみることが増えます。そうなればついつい集中が切れてしまいます。または、周りが見ていないことをいいことにメールチェックなどの内職をしやすくなります。そうなれば、議論の効率がぐっと落ちてきます。
という感じです。
逆を言えば、板書が、いやカッコよくグラフィックと呼びます、グラフィックが十分に機能すれば、論点が整理され、思考のズレを防ぎ、人の批判をアイディアの吟味に替え、抜け漏れを防ぎ、安心感が得られ、集中を促すことが出来ます。
かといって、難しいのかと言えば、難しくないです。ただし、奥は深いです。
グラフィック道です。
でも、技術です。学べば上達します。
線1本がかければ、整理ができます。
4つの構図を覚えれば、なんとなく展開が視えてきます。
未だに自分の板書は恥ずかしいのですが、まずは、勇気を持って書き始めることと思い、書く日々です。
